日本人でも、フィリピンの歴史上の有名人の名前を数人あげることができるという人は少なくない。

同じアジアの国であるし、フィリピンから日本へ働きに来ている人も大勢いる。そのため、職場や学校などでフィリピン人の友達ができるというケースが結構ある。そんな時、お互いの国の有名人の名前を知っていたりすれば、そこから話題が広がっていくし、親近感も深まる。

一口にフィリピンの歴史上の有名人と言っても、世界的に見た場合の知名度の高さは様々だ。

フィリピン人にとっては知っているのが当たり前のようになっている人の中にも、海外での知名度がほとんどゼロに近いような有名人がいる。その代表格とも言えるのが、ラプラプである。ラプラプが生きていた時代は16世紀だから、かなり昔の人だ。

セブ島の東側に位置するマクタン島の領主だった人物なのだが、人類史上初めての世界一周航海を成し遂げたマゼランを殺した人物としてその名を歴史にとどめている。

マゼランは、ヨーロッパ諸国にとっては尊敬すべき英雄の一人とされているが、実際には侵略者の側面を色濃く有していた。

ポルトガル人のマゼランは、胡椒などの香料を求めるためにアジア諸国を訪れた。

訪れたと言えば聞こえがいいが、制海権を掌握するためにスペイン船5隻からなる艦隊を引き連れていたわけだから、訪れられた方からすれば脅威以外の何物でもない。

実際のところ、訪れた先々で武力を誇示し、スペイン王への朝貢やキリスト教への改宗を強要してまわっていたのだ。

当時のアジアには、ヨーロッパ諸国に対抗できるような武力を有する部族などほとんど存在していなかったので、ほとんどの部族がマゼランの要求に従わざるを得なかった。

そのような状況の中で、明確にマゼランの要求を拒否する態度を示したのが、マクタン島のラプラプだった。

ラプラプ軍は、装備だけを見ると、マゼラン軍よりもはるかに劣っていた。大砲や火縄銃などを持っていなかったのはもちろんのこと、満足な鎧もないような状態だった。

しかし、装備面でのマイナスを巧みな戦略で補って、指揮官であるマゼランを殺害し、マゼラン軍を追い払うことに成功したのだった。

その後の世界史の流れを見ると、結局のところ、東南アジア諸国はヨーロッパ列強の支配下に置かれるようになっていくわけである。

しかし、ラプラプは民族の誇りを守るために、ヨーロッパの侵略に対して敢然と立ち向かった英雄として、今でもフィリピン国民からの敬愛を集めている。